予期せぬ後継者の家出 家業が存続の危機に
現在、果樹の生産・販売・観光・加工・飲食、この5本の柱で事業を行っています。しかし、順風満帆に柱を増やして来たわけではありません。大学で観光を学び、長男として家業を継承すべく、1998年4月に入社しましたが、同年12月には、経営に対する考え方の相違から父と口論になり、取っ組み合いの大喧嘩をしてしまったのです。私は家を出て、農業とは関係のない会社で2年間の営業を経験し、また家業に戻るという経緯をたどることになりました。一度大喧嘩をしたにもかかわらず、家に戻った後は、「お前の好きにやれ」と事業を任せてもらえましたし、家を出ている間に営業職を経験し、家業に対する思いを整理できたので、私にとって必要な時間だったと思います。
しかし、家業に戻った直後はやりたいことをまったく実践できずにいました。理由は2,500万円という債務超過があったからです。ただ、それが役員である父や母から借り入れた役員借入金だったことが不幸中の幸いでした。一旦、両親に2,300万円を返済し、すぐに同額を増資してもらうことで、300万円だった資本金を2,600万円にして、債務超過を脱することができました。この段階では、両親に返済できるお金はありませんでしたが、現在、すべて返すことができていますし、債務超過という会社にとっては危機的な状況から抜け出せたので、この判断は間違っていなかったと思っています。実は、この方法をアドバイスしてくださったのは、農業に詳しい税理士でした。債務超過の状態では融資も受けられませんし、補助金も申請できません。なんとかしなければと山形県農業会議をはじめ、いろいろな人や機関に相談しました。そして専門家派遣の支援を受けることができたのです。当時、債務超過の意味さえ知らなかった私には、第三者に相談することの大切さを痛感する出来事でした。

細かい合理化によって黒字が出やすい体質に
まだまだピンチが続きます。2011年の東日本大震災です。王将果樹園への来園者数は、例年の半分以下まで落ち込みました。サクランボ狩りが始まる6月までの3カ月間で、安全性を十分に周知できず、集客することができませんでした。その結果、お客さまに収穫してもらえなかったサクランボを、大量廃棄せざるを得なくなったのです。果樹農家として、こんなに辛いことはありませんでした。
この年、父が「60歳になったら社長を引退する」と宣言していた通り、誕生日を迎えた年の4月、父に代わって私が社長に就任しました。地震による大きな被害はなかったものの、売上が激減することは予想ができましたので、なんとか雇用を維持するために、まず経営の中身を見直すことから始めました。例えば、段ボールの種類を見直すことで、在庫数を減らしたり、農作業や出荷作業の工程を改善するなど、今まで手をつけられなかったところまで吟味を積み重ね、支出をスリム化しました。当社が、黒字が出やすい体質に変わったのは、この徹底した合理化がきっかけではないかと思っています。
この経験によって、生では売れないサクランボを違う形でお届けすることで、お客さまに喜んでもらえないかと考えるようになりました。そして、たどり着いたのが6次産業化です。2014年、総合化事業計画を作成して申請、農林水産大臣から認定を受け、生産と加工、販売を一体的に行う事業活動に対してさまざまな支援を受けることができました。具体的には、収穫したサクランボをジュースにし、それをソフトクリームに入れてオリジナルのソフトクリームをつくるというものでした。2016年にはここでしか購入できないお菓子やジュースなどのお土産が買えるショップとカフェを融合した建物をつくり、カフェでこのソフトクリームを使ったパフェを提供したところ、大変ヒットしました。コツコツと努力を積み重ねたことが功を奏し、なんとか雇用を守り、会社を継続することができましたし、2011年からこれまでの12年間、黒字決算を続けることができています。

失敗を教訓として即決断 通販と直販にシフト
王将果樹園には、年間6万人の来園がありますが、2019年はサクランボ狩りだけでも2万人が来てくださっていました。2020年1月、新型コロナウイルス感染症のニュースが流れ始めたとき、ふいに思い出したのが、東日本大震災時の対応の遅れによるサクランボの大量廃棄でした。あの悔しく、残念な思いをまた味わうことだけはしてはいけないと、対応が後手に回らぬよう、すぐにサクランボが最盛期となる時期の観光客の受け入れをストップして、カフェも休業することを迷いなく決定。注力する事業を通販と直販にシフトしました。サクランボの収穫を、休業状態だった天童温泉の旅館やホテルの従業員の方々に副業としてお願いしたのですが、この話がマスコミに取り上げられると、「注文して助けよう」と、消費者の皆さんからこれまでにないほどの注文をいただきました。結果的には、通販事業で観光の売上をカバーして、2020年度の売上は過去最高になりました。会社経営に油断は禁物ですが、特に農業は台風一つで収穫ができなくなり、収入がなくなってしまいます。平時から常に危機感をもち、事業の柱を複数たて、各々のバランスを見ながら、目指すところまで太くすることを常に考えています。
今後のVISION
支えてくれる仲間たちと事業の柱をたて太く育てていきたい
「日本一のサクランボの観光果樹園をつくりたい」というのが、私たちの目標です。私は50歳になったら、現在、専務である弟に事業を承継しようと決めていますので、あと2年は精一杯頑張るつもりです。いま、当社は地域の方が仲間に加わってくださるケースが増えています。例えば、後継者がいない方の農地を譲っていただき、その方に入社してもらって、剪定の技術などを教えていただくといったことができるようになってきました。
またなにかしらの危機が訪れても、事業の柱が複数あれば、どれかは残ると思います。仲間をつくり、世の中の情勢を見ながら、事業の柱を太くしていくことが大切ではないでしょうか。

フェニックスのポイント
●4度の経営危機に対して、その都度向き合い、新たな事業展開を模索してきた経験の蓄積。
●経営の合理化と管理会計の徹底による企業としての体質改善。
●事業の柱を複数もち、外部環境にあわせて柔軟にシフトしていくことで、経営危機を事業拡大のチャンスに。
