危機に直面して下した生き残るための決断
1873年の創業以来、私たちは比較的安価な日本酒を提供してきました。以前は、晩酌や来客用にと多くの家庭に日本酒が用意されていました。しかし、嗜好の多様化とともに、ビールやワインといったお酒が楽しまれるようになると、日本酒の消費量は減少の一途をたどります。その影響を受けて、現社長の父親の時代には、売上2,000万円に対して負債が2億円を超えていたと聞きます。界隈では「宮城県で次に廃業するのは新澤醸造」だと言われていた状況のときに、後継者として蔵に入ったのが現在の5代目社長の新澤巖夫です。
新澤が入社したのは1999年。入社後すぐに、例年、酒づくりをお願いしていた南部杜氏の方に来ていただくお金がないことから、自分たちでつくるやり方に切り替えました。また、日本酒の中でも人気が低迷していた普通酒ではなく、注目が期待できるランクの高いお酒中心の醸造体制にシフトしたのです。しかも、食前酒でも食後酒でもない「究極の食中酒」の醸造に注力することを決めました。これによって2003年に誕生したのが「伯楽星」というブランドです。ちなみに、この「食中酒」という言葉は当社がつくったもので、料理の素材がもつ力を引き出し、食事をよりおいしく感じさせるお酒のことです。この食中酒が少しずつ認知されるようになり、輸出も好調に伸びて、経営も安定していきました。
地震で受けたダメージをプラスに変えた移転
あと数年で負債の返済が終わるという頃、私たちの酒蔵は東日本大震災に見舞われました。酒蔵は土台が大きな損傷を受け、全壊判定を受けました。すぐに同業の方々や販売店の皆さんが駆けつけ、復旧に手を貸してくださいました。大変な状況にあっても在庫を絶やさず、酒づくりを続けることができたのは大変ありがたいことでした。しかし、140年以上酒づくりを行ってきた場所で仕事を続けるには、酒蔵を建て直すしか道はありませんでした。そんな折、大崎市から約80キロ離れた川崎町に、とあるメーカーが酒づくりを行っていた施設が売り物件になっている情報をつかみます。社長はそれを買い取ることを決断し、2011年11月から川崎町で酒づくりを始めることを決めました。
きっかけは未曾有の震災でしたが、質の高い酒を効率よくつくることができる環境を整備できたことは、不幸中の幸いでした。酒づくりに欠かせない良質な天然水が得られることが決め手になりましたが、大崎の酒蔵は建物が古いために使用できる電力量が限ら
れ、新型の機械が使えない、スムーズな動線を確保できないといった問題を抱えていましたので、移転したことが仕事の効率化を進
めることにもなりました。
震災後、人材もなかなか集まらない中、応募して来てくれたのが地元の女性たちだったこともあり、現在も当社の従業員の6割は
女性です。酒づくりは男性の世界といったイメージがありますが、当社の蔵元杜氏は、2018年に22歳で新澤からバトンタッチした
女性です。彼女が杜氏になって以来、様々なお酒のコンペで入賞するようにもなりました。社長が無理のない働き方を模索し、一人
ひとりが仕事に集中できる環境を整えたことも、酒の風味や品質の向上につながったのだと思います

ピンチを力に変える前向きな思考回路
目先の利益にとらわれず、丁寧な酒づくりが認められ始めたと実感するようになった矢先、今度は新型コロナウイルス感染症が世界中にまん延しました。社長は人が集まって酒を飲む機会が激減するだろうと、早い段階で2020年の酒造計画を一気に変更、この年の製造をすべて停止しました。従業員には休んでもらい、雇用調整助成金を活用して、なんとか給与を確保しました。通販で商品を販売する方法もありましたが、私たちの蔵には、最初は売りづらかったであろう「食中酒」を、根気よくお客さまに勧めてくださった地元の酒販店や特約店に育てていただいた恩があります。そこで通販は行わずに、コロナ禍はコンペに参加したり、SNSで情報発信することに注力したのです。売上額は大きく減少しましたが、国内外で開催される著名なコンペでたくさんの賞をいただき、2022年は世界一の酒蔵の称号も頂戴することができました。コロナが5類に移行して以降は、国内よりも早く、輸出が先に動き始めましたので、海外のファンも増やせるよう、質が高くておいしいお酒づくりに努めようと思っています。

私は2003年に入社し、社長のそばでその発言を聞き、行動を見てきました。なぜ会社が窮地を乗り越えられたのかを考えてみると、それはひとえに社長にピンチをピンチと思わないメンタルの強さと、前向きな思考回路があったからではないかと思うのです。また、新しいことが好きで、経営が厳しい状況にあったとしても、宮城県内で初めて日本酒を使ったリキュールを考案して商品化したり、2009年には世界最高精米歩合9%の「残響 超特撰純米大吟醸」を発売したりするなど、酒造業界から一目置かれるような酒づくりを行ってきたことも、従業員に誇りとやりがいを与え、それが経営を上向きにする底力になったのではないかと思っています。
今後のVISION
新しいことに挑戦しながら日本酒のおいしさを伝えていきます
現在、事業再構築補助金を活用させていただきデザイン事務所を本社の近くに建設しております。お酒のラベルなどのデザインから印刷までを自分たちで行えるよう、準備を進めています。また2024年内目標で川崎町に新しい出荷棟を建設予定しています。これによって、将来的な輸出の増加などを見越した十分な作業スペースと効率化を目指します。
これからも既存商品の酒質アップに妥協することなく取り組んでいきながら新しいことに積極的にチャレンジしたいと思います。
日本酒の価値を高めながら国内外に広めていければと思います。

フェニックスのポイント
●商品、市場、酒造りを外部環境の変化に合わせて柔軟かつ迅速にシフトチェンジすることにより、経営危機を乗り越える。
●人材投資、従業員の働き方を改革。業界のルールにとらわれない取組を実行し、事業再生を達成するための底力に。
●伝統を重視しながらも、窮地を乗り越えるために新たな取組を推進し、外に向かって事業展開。
