公共事業の減少と談合問題の発覚で売上げが急落し倒産寸前の状態に
旧経営陣の時代の話ですが、2001年に談合問題が発覚し、課徴金や損害賠償請求などへの支払いが生じました。同じ頃、公共投資削減改革が始まったことを契機に公共事業が急激に減少し、過当競争に巻き込まれてしまいました。
かつて、当社は八戸市内の公共事業のシェアを15%ほど占めており、ピーク時の売上は74億円ほどでした。それが年々ガクガクと減少していき、自分が社長に就任した2006年には売上が14億円にまで減収していました。
私の父である3代目が社長の時は、完全にワンマン経営でしたので、役員会議や社員教育というものがありませんでした。自身は社長就任前に役員をしていましたが、当社の決算がどうなっているのかを役員でさえ知ることができませんでした。
当時も財務担当役員はいましたが、金融機関からどんな指摘やアドバイスを受けても手を打とうとせず、目先の営業活動への意見ばかりで、根本の経営改善は全くできていませんでした。
この様な状態では会社の建て直しは厳しいと感じており、辞表を片手に抗議したこともありましたが、受け入れてもらえるどころか全否定される始末で、売上げ減少にも歯止めが効かない状況でした。
前社長である父もV字回復を目指してはいましたが、詐欺に遭うなど悪いことが重なり退任を決意したのです。かねてより当社の再建を目指していた自身が社長就任するのはここしかないと思い、社長就任を申し出ました。そして2代目社長の後押しもあり、今後の全ての責任を取るという約束で自分が全権を担い、4代目社長に就任しました。
新体制の壁になっていた経営陣は総辞職、新経営陣による迅速な変革で信頼回復
社長就任当初は前経営陣がそのまま残った状態で、全権委任とは名ばかりでした。会議を開くことにも経営計画書を作ることにも非協力的で、自身に対するクーデターのようなことまで起こり、金融機関からの評価は最悪と言っていいほど落ち込んでいました。
転機になったのは株主会議です。そこで前経営陣が新社長の経営方針にそぐわないことが明らかになったことで、前経営陣の総辞職が決定しました。
経営者としての悪評を払拭するためにも、外部の取締役を入れたり生え抜きの技術職員を役員に据えたりし、新経営陣に入れ替わってからの改革は迅速に進みました。
まずは再建のための経営計画案。これは内部だけではなく、外部専門家や公認会計士のお力添えもいただき、蓋然性のあるものを制作しました。しかし、当時の金融機関との関係性にあっては、計画案を持参しても読んでくれさえしませんでした。当時は銀行の貸し渋り貸し剥がし問題もありましたので、悪い状況が重なってしまっていました。
そんな状況下で、私は社員に「我が社をこれから地域ナンバーワンに変えていきます。だからぜひ力を貸してほしい、一緒にやりましょう」と宣言しました。同時に5か年計画を発表して、明確な経営ビジョンと目標設定を発表しました。
具体的には主に2つ「5年間でまずは地域ナンバーワンになること」、そして「公共事業に頼らない経営を目指すこと」。公共事業には地場のゼネコンとの関係性や総予算額などの制限がありますので、民間工事を優先する戦略に変更していきました。 また金融機関や外部支援機関の与信回復のために、自ら公認会計士や弁護士を含めた諮問委員会を設置して、徹底した情報開示を続けました。これらのガバナンス強化を評価していただき、金融機関との信頼もどんどん回復していきました。
「建設業でありながらサービス業である」従業員の意識変革が業績の流れを変えた
民間工事を受注できるようになれば、営業地域の壁がなくなることで市場が一気に広がります。元々数多くの公共事業をこなしてきた技術力は持っていましたから、潜在能力があるのは分かっていました。しかし、ビジネスマナーをはじめとした最低限の社員教育が無い状態でしたので、まずはそこの教育から始めました。
現場管理や予算管理のやり方はもちろん、名刺やパンフレットを持っていく時の頭の下げ方まで徹底的に教育し直しました。そうすると「我が社は変わったんだ」と社員の心持ちも大きく変わっていきましたし、業務に対する考え方や取り組む姿勢も変化していきました。基本かもしれませんが、マナーや礼儀など、サービス業的な要素を強化すると、行政からの公共事業の評判もすこぶる良くなりました。工事の成績も品質も良くなると、発注者など周囲の方々から応援される存在になっていき、それが職員たちの自信となります。すると、さらに質の高い仕事ができるようになり受注が増えていきました。まさに正のスパイラルが生まれ始めたのです。
再生可能エネルギー事業への参入など、現在は新規事業を積極的に推進
今では田名部組単体で年間売上90億円以上、グループ全体で200億円規模にまで成長しました。倒産危機からここまで来るのにはさまざまな学びがありましたし、金融機関はじめ、公的な支援機関、地元商工会、業界団体など、多くの方々に支えていただきました。また諮問委員会が機能しているおかげで、さまざまな投資事業にも参加することができるようになりました。例えば大規模太陽光発電事業や風力発電事業、市街地の再開発事業まで、幅広く手掛けられるほどの体制になっています。これからも外部要因などの経営危機はあるかもしれませんが、逆境に直面した際には「それに対して何ができるか」解決策を見出せれば、必ず乗り越えて成長できると確信しています。